タイトルロゴ大山祐史の経営コラム

 


 <本日のツボ110>
   『いい始めと最後通牒』

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<ツボの説明>

  人事部門や工場管理の仕事を通して感じたことのひとつに、日
 本人の話し合い嫌い というのがあります。

  自分が感じているちょっとした不満や問題意識を、だれにも話
 さずに抱え込んでしまう人が多いのです。

  特に上司には話しにくいらしく、「会社を辞める」というよう
 なことをいってくる場合、ほとんどが上司にとってはある日突然
 言い出したように感じられるようです。

  そして、それを言い出した場合はまず翻意できません。つまり
 言い出した時点ですでに決意は固まっていて、上司に伝えるとき
 には「最後通牒」とし話しているということになります。


  昨今、熟年離婚とか定年離婚などといった言葉をよく耳にしま
 すが、これも聞いていると「突然言われてビックリした。しかし
 そのときにはすでに妻の決意は固くて思いとどまらせることがで
 きなかった」といった状況であることが多いようです。


  こういったことを見ていると、日本人には自分から問題意識を
 公表することに対して後ろめたさを感じる傾向があるように思わ
 れます。

  「黙って耐えることが美徳」というような価値観から来るもの
 なのでしょうか?

  「黙って耐えるのが美徳」と思っているなら、定年をきっかけ
 に「あなたにはもうガマンできない。離婚する」なんていわない
 はずだと思いますけれど。


  日本人以外の場合はたいてい、問題点や不平不満をもっと気軽
 に会社や上司にぶつけてきます。

  少なくとも欧米人の場合、問題提起は問題解決のための第一歩
 としてとらえ、そこからお互いにとってベストな解決策はどこに
 あるかを、時間をかけて議論してゆくといったやり方が多いよう
 に感じます。


  こうしてみると、日本人は議論することを心理的にネガティブ
 にとらえがちであり、外国人は議論を問題解決の手段という現実
 的に有用なポジティブなものとして考えているのではないかとい
 う気がしてきます。

  実は私自身にも、できれば議論は避けたいという意識がありま
 す。なんとなく気まずさやわずらわしさのほうが先にたって、そ
 の場でするべきだった問題提起を先送りしてしまった経験があり
 ます。「そのくらいのことはガマンしてしまえ」と思うこともけっ
 こうよくあります。


  日本で先日、子供のころの嫌な記憶が恨みに変わり、その恨み
 が殺意として爆発してほんとうに殺人を犯してしまったという事
 件がありました。

  離婚、退職、殺人。
  やはり「だまって耐える」が限界を超えてしまうと、あまり良
 い結果にはつながらないようです。


  日本の職場では、問題提起の数と頻度が多い人のことを「うる
 さがた」と呼んでけむたがったり、「我慢が足りない」「わがま
 まだ」というレッテルをはって低く評価したりしがちです。

  しかし「いい始める」ことには勇気が必要であることにも気づ
 くべきです。

  いい始めた側も、「いったっきり」や「いいっ放し」では単な
 るわがまま者の域を出ないことを認識しましょう。

  一度いい始めたらそこから話し合いを始める。

  そしてお互いが歩み寄れる方策を探してゆく。

  そんなことをコツコツと続けてゆくことが、組織の人間関係を
 進化させ、組織能力そのものにもプラスに作用するのではないか。

  少なくとも大きな大きなマイナスが発生するのを防止する効果
 があるのではないか。


  みなが言い出す勇気をもてないままでいる組織には、「最後通
 牒」や「捨てぜりふ」が飛び交っています。

  いつか大きな壁にぶつかる前に、「いい始め」をポジティブに
 とらえて活用できる組織にしておく必要があります。

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 アドバンマネジ経営コラム by 大山祐史


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