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 <本日のツボ13>
   『コンテンツを発信する』

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<ツボの説明>

  街の八百屋さんが、町内の奥様方全員中1%の方だけしか
 買い物に利用してもらえなかったら、普通はつぶれます。

  全世界の人々のうち、1%の人から支持を得られたら、ふつう
 は億万長者になれます。

  99%の人が奇異に感じて評価しようとしない価値観は、
 従来だとどこにも発信されずに埋没しました。

  99%の人がノーという = 社会性ナシ = 世に問う価値もない

 ということになってしまっていたのです。

  世に問う=製品化して売り出す と捉えた場合、それはコストを
 伴いますから、大勢に高く評価される可能性が低いものは、その
 時点で排除されてしまいます。

  できるだけ高い確率で評価されなければならない社会が従来型
 社会だったわけです。そのような社会では、学歴・有名企業の看板
 ・肩書・公的資格といった、普遍的な価値を付与しやすいものを
 価値判断の基準として使用せざるを得ませんでした。

  今はちょっとちがいます。
 「な〜んだそんなもの」といわれかねないようなものにも、
 世界のどこかで高い評価を獲得するチャンスがあります。

  引きこもりで中学校も行かなかった少女が描いた絵
  愛犬がシーツにつけた足跡
  何をいいたいのかよくわからない経営コラム・・・

  そういうものでも「世に問う値打ちもない」と決め付けてしまう
 のはもったいない。
  「うちの子、出来が悪いからちゃんとした学校や会社には
 入れそうもない」とか、「俺なんか根暗で顔もぱっとしないから、
 幸せな家庭を作ることはできないだろう」といった、従来型の
 普遍的(と思われている)価値観にもとづいた悲観主義は、意味
 がなくなってきています。

  「オタクの習性」が「オタク文化」となり、ついには一つの商圏
 にまでなったのも「気軽に発信されたネタ」が思いがけない共感を
 呼んでいった結果だったととらえる事ができます。

  コンテンツを世界中に発信するためのコストが限りなく0に近い
 現代、極端にニッチな製品・デザイン・サービス・情報であっても、
 どこかで高い評価を得られる可能性が高まっています。
  電子的コンテンツの場合、まずは発信してみよう、という考え方
 で問題ありません。発信する前に評価を予測することの重要性は、
 今後ますます低下して来ると思われます。

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 アドバンマネジ経営コラム by 大山祐史


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