<本日のツボ177>
『70年周期説』
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<ツボの説明>
「今の社会状況は70年前と似ている」と主張する、70年周期説
については、つい先日(#165で)書いたばかりだが、看護・介護職
の将来像を考えていたら、ある人のことを思い出した。
私のおばである。
看護婦であり保健婦、花田ミキ。
(正確には母の従姉妹なので、おばとはいわないか)
今からちょうど70年前、看護婦となった花田は、まさしく時代
に乞われた大勢の中の一人であった。
昭和12年の日中戦争を皮切りに三度も召集され、中国大陸から
南方戦線までの従軍勤務を経験する。
日中戦争から太平洋戦争にかけての期間、応召し戦地へ赴いた
看護婦の数は、5万6千人近くに上るとの推計がある。
兵士として召集された男子も同様であるが、その時代に「時代が
求める人材」という美辞麗句で祭り上げられたものの実態が、かく
も残酷であった例は他にはないだろう。
救いは、世の中に求められ地獄を見た花田であったが、その人生
は充実しており、ある意味幸福だったと思われることである。
目の前で死んでゆくおびただしい数の同胞を目の当たりにしな
がら、自らの職業に対する情熱を捨てることがなかった。
復員後も出身県である青森県において、地域保健活動の草分けと
して活躍し、その名を後世に残すこととなる。
県立保健大学の前身、県立青森高等看護学院の創設に尽力した
ほか、乳児死亡率を下げるため昭和40年に「もッタラこロスナ」
運動を開始。全国に先駆けて町村への派遣保健婦制度や夏季保健
福祉活動を実施するなど、保健衛生の向上に尽くした。
そんな花田も、今月一日、永眠した。
91歳の天寿である。
故人の意思により、その身体は弘前大学医学部に献体され、
葬儀は行われなかった。
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アドバンマネジ経営コラム by 大山祐史
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