タイトルロゴ大山祐史の経営コラム



   <本日のツボ292>
     『大人の壁』

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<ツボの説明>

  他人に対して「あの人は、子供みたいだな」などという評価を
 下すことがあります。

  この言葉は、良い意味で言うこともあれば、悪い意味で使われる
 こともあるようです。

  「子供のようにわがままで感情的だ」というのがネガティブな
 意味で、「子供のように純粋で邪念がない」と言う意味なら褒め
 言葉といったところでしょう。


  実際には人間の人格の中に「大人の壁」と言うものが存在する
 わけではないので、感情レベルで「大人」と「子供」を明確に区分
 する尺度や価値観は存在しません。

  上に書いたような一般論も、「感情を隠す、隠さない」で大人と
 子供を切り分けようとする価値観に基づいたものなのですが、この
 ような価値観は普遍的なものではなく、地域や時代によって変動
 するものです。

  日本においては、「忍耐や協調、周囲と同質であること」が大人
 という人格の条件であり、そういったものを身に付けることを目的
 とした教育が施されていた時代がありました。

  わたしもその様な価値観に基づいた教育を受けた者の一人ですが、
 今、自分の子供たちを見ていると、自分とは対照的に「発信や主張、
 個性的であること」を重んじた教育がなされているように思えます。


  「教育」の土台となる価値観がかように変化してしまうのです
 から、感情レベルでの大人と子供の境界は、ますますあいまいに
 なってゆくことでしょう。

  それでも、おそらく「大人らしさ」や「子供っぽさ」という概念
 はなくならないと思います。

  なぜなら私たちは、教育を授かる段階を過ぎても、社会における
 経験のなかから、どの様な場面でどの様に考え振舞うことが自分を
 利することになるかということを学び続けるからです。


  利する、というのは単に経済的な価値を得るいうことだけでは
 なく、人間としての価値を高めると言う意味合いにおいても、経験
 から学び獲得してゆく要素が多いということです。

  そのことを意識してさえ入れば、60歳台でも70歳台でも、
 人間は成長を続けることができます。

  逆に、早い段階で学びをやめてしまった者は、年を重ねるごとに
 「プライドだけは高く、わがままで、役に立たない爺さん」という
 位置づけを固めてゆくことになるのです。


  社会との関わり方を学び続けることができないものは、「酒を
 飲みタバコをふかすことで大人になったと自認したい中学生」が、
 肉体だけ年老いた状態と変わりありません。

  自分勝手な「大人の壁」で自身の周りを囲ってしまうと、学びの
 機会を減少させてしまいます。学びがないものの精神は、成長が
 なく、取り残されて衰退してゆきます。分厚い「大人の壁」のなか
 に閉じこもったガンコ爺さんが、周囲からは実に「子供っぽく」
 みえるのはそのせいです。


  学び続けることで、自身の人格の中に大人の塔を築き上げてゆく
 ことが「大人らしさ」の条件だということなのです。

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 アドバンマネジ経営コラム by 大山祐史


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